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KAT-TUN

クロサンドラ

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
数年前から始めた他の作家とのコラボ作品
僕一人がどんなに頑張っても僕以外にはなれないが
コラボすることによって明らかに違うパワーが作品に宿ったよ

 
 2019-7-31発売 アルバム「IGNITE」
12.クロサンドラ
 (lyrics:Takahito Uchisaa  
     Music:Takashi Tsushimi  Susumu Kawaguchi)

 

約20年前 僕自身が独立して作家事務所を作った当時在籍していた一人の作家 Susumu Kawaguchiと数年前から
コライト作業を始めた。  今やもう日本では主流だが、僕は中々どうして随分と最近までその気になれずにいた。
ある日その後輩の彼が、是非僕とコラボして作品作りをやりたいと申し出てくれたことがきっかけで始めたのだが。
 
 基本的にはトラックを作ってもらってそこにメロディーを乗せてゆく作業だが、
一番の手グセであるコード進行の流れが自分のそれとは違うアプローチだったりで、
たとえばメロディーの質感が同じようなものでも違った景色で聴こえて来たりする。
言葉の彩り、そしてデモのモティーフが何倍もに膨れ上がったパワーのあるアレンジメントのおかげで
とても納得いく作品になったと自負しているんだ
今は今の作り方でという一つのヒントを元に始めてみたコライトだけど結構可能性があるよね。(2019/8/15)


 

香西かおり

口紅模様

 
 
 
 
 
 
 
 
 

ずっと前から書きたかった人
レコーディングでは3〜4回くらい歌って終わった
正直に「良いなあ〜」と感じながら1時間で終わった
 

 2019-6-5発売
1.口紅模様
 (作詞:麻こよみ  作曲:都志見 隆)
2.絆唄〜キズナウタ〜
 (作詞:冬弓ちひろ 作曲:都志見 隆)

 

前川清さんに書いた「男と女の破片(かけら)」(1991)という作品をカバーして頂いたのが最初の出会いだった(1992)。二度目にお会いしたのは数年前のNHKのうたコンの楽屋ロビーで20数年ぶりでもちゃんと覚えてくれていた。ところで僕の作風の仕業なのだろうか...今まで提供してきたアーティストは割合としては男性歌手のほうが多い。 
だからか女性に歌ってもらえる歌が書けるのが非常に嬉しい。
 
香西さんはいわゆる演歌歌手とは一線を画する存在だ
どんな歌を唄っても行き過ぎないところが聴いていてとても心地いい
器用だけどそれは歌の裏側にそっと隠して淡々と唄う姿にやられる
そんな香西かおりブランドの匂いに一種の品格を感じるのは僕だけじゃないだろう
 
ある日電話で「香西に書いて欲しい」とディレクターから電話をもらった時、

発注内容はともかく 僕が聴きたい香西かおりを書こうと決めた。
いい歌ができるのはそれなりのタイミングがある。
今回の発注が、そろそろ都志見に書かせてみようかなんていう神様の采配だとしたら
少しはそれに応えることが出来たのだろうか。いくら強気で書こうが基本はチキンハートだ。
まだまだいい作品が出来るに違いないなんて感じてしまうのは彼女の歌のキャパシティーが並ではないという証拠なんだ (2019/5/09)

 

ベイビー.ブー

ごめんね...ありがとう

 
 
 
 
 
 
 
 
 

生で聴く彼らのハーモニーはまさに音と言葉の振動だった
まるで何かの波動を受け取るようにそれは大きなホールの隅々まで届いた
誤魔化しゼロの生歌はボーダレス
こんな素晴らしいグループの音楽が浸透しないはずがない
 

 2018-3-7発売
1.ごめんね...ありがとう
 (歌詞:松井五郎 作曲:都志見 隆)
2.花が咲く日は
 (歌詞:松井五郎 作曲:都志見 隆)
 


2019-4-24 発売 Album 「花が咲く日は」
1.花が咲く日は 令和バージョン 編曲:川口大輔
 

コーラスグループと言えば過去にキングトーンズやクールファイブなどに書いたが
最初からア・カペラとして曲を書いたのはベイビー.ブーが初めてかも知れない。

コーラスアンサンブルも含めての曲書きは実は側で想像するよりも決して難しい作業ではない
結局は言葉やメロディーの良さの裏付けなしではどんなに綺麗で巧みなアンサンブルで周りを固めても限界があるからだ
考えるよりもまず形にと思い浮かぶままラフに積み重ねていったイントロから本編そして間奏からエンディングだが 彼らが加えたアンサンブルでよりドラマチックになった生歌はそんなスケッチたちにドクドクと血が通い始めた瞬間だった
カップリングの「花が咲く日は」は、うたごえ喫茶ともしびのリクエストランキングで9ヶ月連続1位と支持されていると聞いて胸躍る 派手なプロモーションもなくメディアへの大きな露出もない中で ひとつの歌が童謡や唱歌のように親しまれ愛され唄われることはある意味作家にとって究極なんだ (2019/2/16)


クミコ

最後だとわかっていたなら

 
 
 
 
 
 
 
 
 

言葉の一つ一つがなんて自然に聞こえてくるんだろう
こんな歌にしたかったという想いを
クミコさんがちゃんと実現してくれた

 
 2018-3-7発売
1.最後だとわかっていたなら
(原作:ノーマ コーネット マレック/訳:佐川 睦/
 歌詞構成・作編曲:都志見 隆)
 

 
2019-6-5発売
1.妻が願った最後の「七日間」
c/w 最後だとわかっていたなら new arrange version 編曲:大貫祐一郎

 アメリカ人女性のノーマ コーネット マレックさんが、亡くなった我が子を偲んで書いた詩を佐川 睦さんが訳され
「最後だとわかっていたなら」という日本語詩で紹介された。
きっかけは2001年9月11日のあの悲惨な世界同時テロ後に世界中にチェーメールとして世界中に広まった。
クミコさんでプリプロをやってますから楽しみにしていてくださいと出版社から連絡をいただいてから
音源が届くまで待ち遠しくずっと楽しみにしていた。
たまに拝見するブログを読んでいると彼女のモノの見方 考え方そしてその生き方がよくわかる
彼女の歌の出で立ちは彼女の生き方そのものだと思う
こんな歌にしたかったという想いをクミコさんがちゃんと実現してくれた


 

竹島宏

月枕

 
 
 
 
 
 
 
 
 

何年かぶりにたまたまNHKホールの楽屋で会った。
「また、一緒に作品やりたいね〜」って。
そこから始まった僕らと竹島宏の第2章。

 
2017/01/25発売
15周年記念作品
1.月枕
(作詞:松井五郎 作曲:都志見隆 編曲:都志見隆)
2.生きてみましょう
(作詞:松井五郎 作曲:都志見隆 編曲:都志見隆)
 
 
 
 
 
 
 
 
 (2018)
 
 
 (2019)
 
 
 
 
 
(2019)
 
 

2009年に徳間から発売された「禁じられた想い」という作品が竹島くんとの最初の出会いだった。
それから8年後にまたこうして作品提供できたのも何かの御縁だと思う。1月発売にも関わらず同年の後半までチャートインを果たした。
松井五郎氏とタッグを組んで、今までのムード歌謡的な様式美やその匂いから少し離れた視点で作品作りをしてみた。
しっかりと地に足のついた歌声は彼の努力と歌に対する強い想いが導いたと思う。
ボツ覚悟でプレゼンしてみたカップリングの「生きてみましょう」は、思いのほか気に入ってもらえた。
竹島宏の作品たちは、僕ら作家にアイデアを任せていただき発信できる環境が与えられたからこそ生まれたと信じる。
 

禁じられた想い


 
2009/05/13発売
1.禁じられた想い
(作詞;松井五郎 /作曲;都志見隆 /編曲;都志見隆)
2年前、「禁じられた想い」以降久しぶりにNHKホールでの歌謡コンサートの楽屋口で竹島君と会った。
「お〜久しぶり!また一緒に作品やりたいねえ〜」なんて少し会話をしたのだが、それが本当に実現するとは。
彼が徳間から新しく移籍したテイチクレコードのディレクターが徳間時代の作品などを聴いて
「次の作品は松井さんと都志見さんに」と電話がかかってきた。
今考えればこの「禁じられた想い」から竹島君と道がつながっていたかも知れない。
「月枕」とともに竹島宏という歌手が世の中に浸透し 改めてテレビ番組などでこの作品を唄ってくれていることがとても嬉しい。  (2017/12/16)
 

由紀さおり

わたしのうた


 
 
 
 
 
 
 
 

出来上がった歌のところどころに かつて聴いた事のある
由紀さんの特徴的な節回しが聴こえてきて嬉しくなった。

 
90歳になって詩作をはじめた原作者「柴田トヨ」の半生を描いた松竹映画
くじけないでの主題歌
 
 2013-11-06発売
1. わたしのうた
(作詞:松井五郎 作曲:都志見隆)
 

小学生の頃に日本中に流れていた「夜明けのスキャット」(1969)。個人的なブログでも書いた事があるが、父がある日、トヨタパブリカを買ってきた。我が家に始めてマイカーが来た。その車で岡山や島根の親戚の家によく出かけた。そんな時代に流れてた歌の殆どが昭和の名作として今も歌い継がれている。この仕事をしていると幸運にもかつての時代によく聴いていた歌手の方などとの出会いも多い。そしてもちろん由紀さおりさんもその一人。『くじけないで』という映画の主題歌という事で、松井五郎氏の詩先で出来上がった曲。都合でレコーディングには同席できずとても残念だったが、ご本人とは当日に電話でお話する事が出来た。大変に気さくな方で大変喜んで頂いた。出来上がった歌のところどころにかつて聴いた事のある由紀さんの特徴的な節回しが聞こえてきて嬉しくなった。我ながら上出来の歌かな。久々の手前味噌。

 


上間彩乃

ソランジュ


 
 
 
 
 
 
 
 

この作品の方向性は
上間彩乃という無二の歌声を持つアーティストとの出会い、
そして康氏が作詞するという事でほぼ完成したといっても過言ではない。

 

タイトルの「ソランジュ」は「空の樹」をイメージし造語。宇宙のすべての命が繋がりあって成長し、
やがて花や果実になり、そして散ってゆく、そんな大きな命のサイクルをイメージした作品。
作詞のお願いの打診より二日後、康珍化氏から電話で「つっくん、曲、泣けた。書かせてくれる?」って。
 

2013-06-19発売 
1.ソランジュ
(作詞:康珍化 作曲:都志見 隆 編曲:澤近泰輔)
2.里(さとぅ)よ
(作詞:上間綾乃 作曲:伊集タツヤ 編曲:澤近泰輔)

この歌が出来上がるまでに何度泣いただろう。
自分だけではなく上間彩乃の周りのスタッフ陣も同様に。
過去の送信記録を見たら、曲が出来上がってコロムビアのプロデューサーに提出したのが2012年の9月下旬だった。 
それから作詞家を誰にするか打診も含め決定したのが同年11月。プロデューサーの五十嵐寿也氏と詞は何があっても康珍化さんにお願いしようという揺るぎない決意から始まった。暮れも迫った12月 最初の顔合わせの際に、康氏がテーマと言葉のスケッチを持参。それを見ながら話しを聞きながら、私と五十嵐氏は何も言葉が出ず、ただ滲み出す涙をさりげなく拭うだけだった。
何かが皆の想いをある一つの方向へ導いた瞬間だったように思う。こんなのもいいし、あんなのもあるねではなく、
これしかないんだという強い意志から始まる打ち合わせってそう多くない。
それから何度やりとりしたかわからないほど細かい歌詞の言い回しから唄い方の譜割りから綿密に。色んな作り方があるが、久々にプロとしてそれぞれが売る為に知恵を絞った作品。
プロデューサーから宣伝から、そしてもちろんアーティスト本人まで誰一人として気を抜く事なくひとつの作品を生み終えた感慨がある。 約半年をかけて尊い作品になった。またひとつ、自分のキャリアの中に大きく輝く存在感を持った作品を創れた。
そんな出会いに感謝の言葉以外に何も浮かばない。

小林幸子

越後に眠る


 
 
 
 
 
 
 
  

音楽を聴く為にお金を使わない時代にもなった。
しかしそんな時代だからこそ大事に作品創りをしたいと思う。

 

2003年に「Ribbon」という楽曲を提供したのが幸子さんに書いたはじめての曲。それから、10年以上経ってまた発注を頂いた。
作詞は、なかにし礼さんで、作品を御一緒させていただくのはこれまで一度もなく今回がはじめてだった。いい詞といい歌声ともちろんいい曲に、
いいプロデューサーがいればヒットの可能性が見えてくる。
むかしのレコード盤だけの時代から比べると音楽の制作環境やその出口も多様化し世の中に対しての音楽の位置や役割も変わったように思う。
音楽を聴く為にお金を使わない時代にもなった。しかしそんな時代だからこそ大事に作品創りをしたいと思う。
そういう現場にまた出会え素敵な作品が生まれた。いい詞は本当に曲を膨よかにしてくれる。僕にとっていい詞はなによりの宝物。
いい作品は誰かがどこかで気づいてくれる。先の時代にも静かに残っていくような、また好きな曲がひとつできた。
 

2014-6-04 発売 
1.越後に眠る
(作詞:なかにし礼 作曲:都志見 隆 編曲:萩田光雄)
2.星に抱かれて
(作詞:なかにし礼 作曲:都志見隆 編曲:萩田光雄)

2003年1月1日発売の「Ribbon」
歌謡曲的な強いリズムのある楽曲が幸子さんの基本的な唄のラインナップからはすこし違うテイストで、当時も気に入ってくださった。今はもう無き新宿コマの座長公演にお招き頂いたり、それからだいぶ時間がたって三宅裕司さんの舞台に役者として出演されていたときも、劇中でこのリボンを唄うからというので、久々に見に来てと連絡頂いたり 先日も念願の武道館公演が決まったとメールを頂いたりと、本当に気遣いの人である。
今回の「越後に眠る」は幸子さんの事務所で楽曲のレコーディングの打ち合わせのさなかに、なかにし礼さんから歌詞が送られて来た。それを読みながら、静かに涙を流されていたのが大変印象的だった。いい作品になる予感をそこに居た皆が胸に抱いた。
そういう瞬間、僕はこの仕事をやっていて良かったと嬉しくなってしまう。


前川清

哀しみの終わりに


 
 
 
 
 
 
 
 

伊集院静氏との初めての作品。 
伊集院さん、オケ録りの日にひょっこりスタジオに来られました。
そして唄入れの日にも目をつむって
静かに清さんの歌を聴いておられました。お二人共に愛すべき人。

 
2012-05-09発売
1.哀しみの終りに
(作詞:伊集院 静/作曲:都志見 隆/編曲:萩田光雄)
2.しばらくはここにいよう」
(作詞:伊集院 静/作曲:都志見 隆/編曲:萩田光雄)

振り返ってみると初めて前川さんに曲を書かせていただいてから早20年が過ぎた。1991年の「男と女の破片」(詩;荒木とよひさ氏)から作曲家として清さんとのおつき合いが始まった。これまでに何曲かな、数十曲書いていると思う。しかしここまで同じアーティストに長年に渡って楽曲提供させていただいたのも清さんをおいて後にも先にもないだろう。
書かせていただいた作品すべてが愛おしいが、その中でも特に「神戸」や[大阪」それから藤山直美さんとのデュエットの「Love Songが聴こえない」やクールファイブ再結成の時の「悲しい街さ〜Tokyo〜」などはとても印象深い。ヒット曲を沢山持たれているゆえに、いつも発注を頂くたびに悩みまくる。そんな中で「来た!」と思えるようなメロディーや楽曲のアイデアに出会える時ほど嬉しい時はない。いつもそんな緊張感を持たせていただける事がありがたい。
 

春の旅人

 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012-9-19発売
1.春の旅人
(作詞:伊集院 静/作曲:都志見 隆/編曲:都志見 隆)       
2.人生の小瓶 -OH MY LOVELY DAY-
(作詞:伊集院 静/作曲:都志見 隆/編曲:都志見 隆)

映画「旅の贈りもの 明日へ」主題歌。前作「哀しみの終りに」の伊集院 静氏(作詞)と)の作品。
心温まるバラードに仕上がりました。
イントロから全編に奏でられるヴァイオリンソロは映画でも役者として出演している須磨和声くんに弾いていただきました。

 
「旅の贈りもの 明日へ」オフィシャルサイト                       
 
 
 

 


佐野有美

歩き続けよう

  
 
 
 
 
 
 
 
 

「不便だけど不幸じゃない」
勇気と切なさと感動の詩集「あきらめないで」の中から、
7編の作品を歌にして有美ちゃん本人が歌いました。

 
 2011-06-22発売
1.歩き続けよう
(作詞:佐野有美/作曲:都志見 隆/編曲:都志見 隆)
2.チャレンジしよう
(作詞:佐野有美/作曲:都志見 隆/編曲:都志見 隆)
 
 
All words:佐野有美/All music & arrangement:都志見 隆
ある日の午後、テイチクの池田氏から相談があるのだけれどと電話を頂いた。会社の会議室で一冊の詩集を見せられて、「この中の何編かの詩を歌にしたいんだが、是非曲書いてほしい」と頼まれた。有美ちゃんが取り上げられていたテレビをたまたま自宅で見ていた池田さんは、すぐに有美ちゃんのスタッフの方に連絡を取り歌を作りたいと申し出たらしい。「我々の仕事は絶えず売れる売れないという分野で音楽とつき合わざるを得ないけど、時には純粋な気持ちで誰かの役に立ちたいって思うよね。だから何かこう、いい作品創りたいんだよ」と私は狭い会議室でその言葉に目頭が熱くなった。
有美ちゃんのようにハンディーがある身体で、よくぞまああの長時間の過酷な唄入れが出来たと思う。汗びっしょりで丁寧に丁寧に。おかげでとってもいい作品になった。色々なご縁と共に有美ちゃんとの出会いに感謝です。
 
佐野有美オフィシャルブログ「手足のないチアリーダー」

 

 

 


おもてなし武将隊JAPAN


 

 

歌を作って送り出すことしかできないけれど、
それで誰か一人の心でも癒せたら、
それが自分の仕事のすべてだと女川の空を見上げながら素直に思えた。

 
 2012/3/7発売
1.空
(作詞:Satomi、作曲・編曲:都志見隆)
2.羽よ、魂となれ
(作詞:Satomi、作曲:岡本真夜、編曲:坂本サトル、安部潤)
 
おもてなし武将隊JAPAN オフィシャルブログ「天空快濶」

 
プロデューサー山元 "yossy" 淑稀 を筆頭に、2011年3月に発生した東日本大震災に対する チャリティーソングとして企画されたもので、
名古屋おもてなし武将隊をはじめとして全国で活動する約150名の武将隊から選抜された12名によって
「おもてなし武将隊JAPAN」を結成して収録された楽曲。
この歌がきっかけで、震災以来というか生まれて初めて女川に出向くことになった。2011年3月の震災以降、頑張ろうとはするも、いつも自分の心のどこかに無力感や無気力感を見つけながら生活していた、そんな中、広島の後輩の山元 淑稀というプロデューサーから電話があった。「都志見さん、曲書いてもらえませんか?」という簡単な言葉だったけど、とても神妙な空気だった事は今でも覚えている。色んな事に期待をせず色んな事を盛り込まずに書いた曲だったけど、言葉(詩;Satomiさん)や歌のおかげで、多くの人の心に届くかもしれないと期待をしてしまう程、いい作品に仕上がったと思う。歌を作って送り出すことしかできないけれど、それで誰か一人の心でも癒せたら、それが自分の仕事のすべてだと女川の空を見上げながら素直に思えた。ありがとう。
 

中村雅俊

「ワスレナイ」~MASATOSHI NAKAMURA 40th Anniversary~


 
 
 
 
 
 
 
 

ひとくちに40年といってもその道のりは長い。
松井五郎氏の詞先で出来上がった作品。
自分の周りを見渡せば、そこに家族があり友人があり
自分をここまで支えてくれた方々が居てくれたからこそ、これまでの自分の歩みがある。
そんな事を改めて噛み締めるような気持ちで作った。  いい歌になった。(2014/6/12)

 
2014/70/1発売
40周年記念アルバム
1.君がいてくれたから
(作詞:松井五郎 作曲:都志見隆 編曲:河野伸)
-NHKラジオ深夜便 2014/7月〜9月 深夜便の歌- 


 
2008/06/25発売
1.涙
(作詞;都志見隆 /作曲;都志見隆 /編曲;河野伸)
2.すみれ色の空に
(作詞;マシコタツロウ /作曲;マシコタツロウ /編曲;河野伸)
NHK土曜時代劇「オトコマエ!」主題歌
TBSラジオ系「中村雅俊マイホームページ」エンディングテーマ
 
NHKのドラマの主題歌という前程で久々の詩曲で作った歌。
私自身丁度50歳の節目の歳で自分に対するひとつのメッセージでもあった。 
作曲していた時の事を不思議に今でも鮮明に覚えている。
「この曲は応援歌だね」と雅俊さん、時間が経った今でもステージで大事に
唄って頂いている。
 
1988年初発売のアルバム「アクロス.ザ.ユニバース」の中の「永遠にJust a pain」という曲が一番最初だった。ミュージシャンの時代で様々なアーティストが好きなミュージシャン目当てに頻繁に海外レコーディングを行っていた時代。このアルバムもLAやNYで録音されてきた。私自身も当時は洋楽指向が強く、メロディックなものに強く魅かれた。雅俊さんにもこれまで多くの作品を提供させていただきながら、2008年の「涙」で丁度20年目だった。2012年3月に雅俊さんの母校でもある女川第一中学校へお邪魔したのだが、高台にある中学校から見下ろす女川の町は悲しすぎる程に、すべてが津波に奪い去られたあとだった。
また、いい歌を作って必ず 雅俊さんのもとに届けようと思っている。
 

天童よしみ

祭りばやしが聞こえたら

2013-07-17発売
 
1祭りばやしが聞こえたら
(作詞:山本茉莉 作曲:都志見 隆 編曲:都志見隆)
2.故郷(ふるさと)
(作詞:高野辰之 / 作曲:岡野貞一 / 編曲:若草 恵)

デュエット曲の制作ってわりと難しい。男女の場合は特に男と女の声のレンジの違いがあるので各々の一番響く音域で両者を引き立たせることができるに越した事はないのだが、その辺はお互いに妥協案をもって譲り合わないと、持ち味の全く違う二人がかみ合うどころかぶつかり合ってしまう。
同じ旋律をユニゾンで唄ったりフレーズの掛け合いにしたりハモったりと色んなバリエーションを使って一曲を完成させる。
以前にも楽曲を提供した天童さんだが、この方の歌を聴いているといつもその許容量の広さに感服してしまう。
レコーディングの下準備もキッチリやっていらして、音や譜割りも全く間違わない。歌も心もとても丁寧な方。
 


西郷輝彦

旅のあかり

 
 
 
 
 
 
 
 
 

メロの暴れそうな感じをしっとりとした言葉で抑えをきかせられるのは
やはり喜多条さんの暖かさかな。そんな事をふと感じました。 

 
2012年4月4日発売
NHKラジオ深夜便 深夜便のうた 4月〜6月
1. 旅のあかり
  (作詩:喜多條 忠/作曲:都志見 隆/編曲:若草 恵)
2. まだ太陽は燃えている
  (作詩:松井 五郎/作曲:真崎 修/編曲:澤口 和彦)

「オリオン急行」は久々に作詞の田久保さんと御一緒した作品。
田久保さんとはこれまで田原俊彦や夏川りみなどで御一緒していたが、
今回のような大人の歌で作品作りをしたのは初めてかな。曲先で始まった制作だがこの詩がついて完結。
胸がキュンとなるようなロマンチックな歌詞が西郷さんの持つ凛とした雰囲気にとても合っていました。今までにこの詩がなかったら成立していないと思える作品も多く、この歌もまさにこの歌詞あってのものです。
レコーディングの時期が丁度舞台が終わったばかりでセリフの発声法で少し喉を痛められていた事もあって、
         もう一回、もう一回と一人ボーカルブースの中で何度唄われただろう。凄かった。
 
1994年の「別れの条件」(詩;荒木とよひさ氏)。この曲のファンで居てくださった大阪のおっちゃんと知人を介して知り合い、その方のご縁でまた10年以上ぶりに西郷さんにお会い出来た。そしてそんな事があるまで実はこの曲の事については忘れていた失礼な作曲家だ。自分が忘れていた長い間、大阪のおっちゃんが唄いつないでいていてくれた。「好きなんですわ〜この曲、ほいでこの都志見隆いう作家、なかなかえ〜もん書きますよ!」って。
ありがとう。ホンマに頭が下がります。

Yoon Sang Hyeon

Precious Days

 
 
 
 
  
 
 
 

思い入れはむしろ
アーティストよりも制作スタッフとの間に生まれるものなんです。

 
2011/2/16発売
11.このまま気持ちさえ告げずに
(作詞・作曲:都志見隆 編曲:中野定博)

このユンサンヒョンくんとも「最後の雨」繋がりで発注をいただいた。最後の雨という曲をカバーするので、そのカップリングもと頼まれた。しかしこの制作、最終的には日本サイドの製作陣誰一人ともお会いする事もなく私は発注に応じて曲を書き、それがリリースされたという結果だけをいただいた少し切ない仕事でした。楽曲制作はもちろんアーティストに向けてのものだが実際にやり取りする相手はディレクターだったりプロデューサーなどとなので、当然のごとく思い入れはむしろアーティストよりも制作スタッフとの間に生まれるものなんです。本人の意向も含め、どんな曲にするとかの内容から事務的なことまで一緒に多く時間を共にするのはスタッフ。
お互いに初めてのお仕事なので是非お会いしたかったのですが終わってみれば誰ともお会出来ずにという結果でした。
二度とこういった仕事の進め方はしてはいけないと深く反省です。
尚、御本人の歌は難しい日本語の発音の癖もあまりなく歌の表情も豊かで本当に甘くいい声。
同じ韓国出身のZEROくんやモンゴルのオルリコちゃんなどみんな本当に努力をする人たちですね。見習うべきところ多いです。

八代亜紀

人生の贈りもの


 
 
 
 
 
 
 
 

いい曲ができたらそれは詞のおかげ、
つまんない曲にしかならない時は詞のせいにします。

 
この作品は吉元由美さんの歌詞が最初に出来ていてその詩に曲を書きました。
作ってからリリースまでに約1年くらいの間が開きましたが、
2010年のアルバムからのシングルカットという事で新たに歌を唄いなおされNewVocalVersionとなっております。
 
 2011/01/19発売
1.人生の贈りもの New Vocal Version
 (作詩/吉元由美 作曲/都志見隆 編曲/矢野立美)

何となくわかるんだよな、何ていうか曲をつけてる時の居心地の良さってのが。 
だから絵を描くように曲が出来てゆく時と、書いては消し塗ってはまた違う色にしてみるなんて模索する時の違いの原因は、
やはり詩の何かなんですね。
いい曲ができたらそれは詩のおかげ、つまんない曲にしかならない時は詩のせいにします。詩先でつくる場合はきっとそれでいいんです。それ程に最初の役割は大きいと思っています。
もちろんこの曲は詩のおかげで、とってもいい作品になりました。レコーディングで初めてお会いした八代さんでしたが、
イメージ通りにとても自然体な物腰の方でとても魅力的でした。 

ザ・ニュースペーパー

ニュースペーパー!一発逆転


 
 
 
 
  
 
 
 

こういったギリギリの感じの中に実は
切なさや哀愁をとても感じてしまうんだ。

 
2008/11/26発売
1.ニュースペーパー!一発逆転/ザ・ニュースペーパー
( 作詞:麻こよみ/作曲:都志見 隆/編曲:都志見 隆)
2.青空/谷本賢一郎
( 作詞:紅龍/作曲:紅龍/編曲:若草 恵 )

ニュースペーパーのライブでいつも歌って頂いていると、福本ヒデちゃんから連絡を頂いた。レコーディングの後、一度会って飲んだ。彼は広島の出身。こういったお笑いのグループといえば以前にウッチャンやサマーズなどが組んでいたユニット[NO PLAN]以来であったが、この世界に生きる人達の人間味はとても魅力的である。真面目な歌ももちろんいいが、こういったギリギリの感じの中に実は切なさや哀愁をとても感じてしまうんだ。歌がとびきり上手いとかという事ではないが、感じてしまう。教えられる事が沢山ある。


川中美幸

うたびと


 
 
 
 
 
 
 
 

18年前と同じ笑顔でお会い出来ました。

 
2012-07-04発売
NHKラジオ深夜便「深夜便のうた」(2012年7~9月度)
1.うたびと
(作詞:池田充男/作曲:都志見隆/編曲:若草 恵)
 

1994年にはじめて川中さんに書いた「いとしい人へ」(詩:帆苅伸子さん)以来、またご縁あって書かせて頂きました。当時もどこかのスタジオのピアノでキー合わせをやりました。今の新曲のキー合わせの時にも時の隔たりを感じることなく、そして18年前と同じ笑顔でお会い出来ました。もう一つ今回、作詞家の池田充男先生と初めて一緒に作品を作らせていただいた事も自分にとってはとても大事にしたい出来事でした。大変に喜んでくださり後日レコーディングの際に美幸さんと三人で撮った写真をわざわざフォトフレームに入れて送ってくださいました。
 

池田先生は私の母と同い年。とても細かな気配りとその優しさに見習う事も多く、とても狭いポップスの世界の外にはこういった素敵な大人達が沢山おられるのだと思いました。音楽のジャンルの垣根を壊してどんどんこういった素敵な方達と出会わないと損ですね。池田先生、いつもありがとうございます。(2012)

荒木とよひさ

東京タワーが雨に泣いている

都志見君さ、いい歌って作れるじゃない。
でも売れるには良い歌だけじゃ駄目なんだよね

 
2013/6/19発売
1.東京タワーが雨に泣いている
(作詞:荒木とよひさ/作.編曲:小林俊太郎)
2.ラスト・サーファー ~友人S君へ~
(作詞:荒木とよひさ/ 作曲:都志見隆/ 編曲:小林俊太郎)

色んな場面で荒木氏の事は書いているが、かつての艶歌でも歌謡曲でもないニューアダルトミュージックと言われたジャンルが大人の歌としてスポットが充てられていた時代、「都志見くん、大人の歌一緒にやろうよ!」って声をかけて頂いた。最初にお会いしたのは石井明美という歌手のレコーディング。確かデュエット曲で男の歌を私自身が唄った時、「雰囲気あるいい声してるね〜」みたいな事を言って下さったように覚えている。
常に新しい歌ということへの意識が高く、それでいて気持ちががスッと救われる様な、心がフッと暖かくなるような そしてまた艶っぽい作品においても天下一品ではないかと思う。歌が好きでステージでも何度か唄う姿を拝見したが、あの笑顔に女性はやられちゃうんだろうな〜なんて思いながら、本当に素敵に歳をとられていると思う。これからもますますお元気でいてほしいし、またどんどんいい作品を御一緒したい。

ZERO 

もう好きになってはいけない


 
 
 
 
 
 
 
 

どうせなら
テーマを変えた作品を三曲くらい作ってみようという事でスタートした。

 
2011/6/22発売
1.もう好きになってはいけない
(作詞;松井五郎 作曲;都志見隆 編曲;都志見隆)

 
 

1992年に中西保志に書いた「最後の雨」という楽曲をZEROが日本語と韓国語でカバーして唄っているという事だけは知っていた。日本でのメジャーデビューの曲の打ち合わせの時、ビクターの会議室で作詞家の松井五郎氏と、どうせならテーマを変えた作品を三曲くらい作ってみようという事でスタートした。ZEROの唄い方やフィーリングと私が好んで書きたがるメロディーとの相性がよく、すっきりと無駄のない松井氏の極太の言葉の力も借りて三作とも、とても存在感のある作品に仕上がった。ZEROの日本語のトークもジョークも一級品だ。そして彼の唄うバラードも言うまでもなく天下一品である。

斉藤工

ずっと...


 
 
 
 
 
 
 
 

作詞家には向いていない。
それは重々承知の上だが、でもまたついつい書いてしまった。
彼の声にそそられてね。

 
2012/6/20発売
1.ONE MORE TRY!!
(作詞:奥野敦士 作曲:奥野敦士 編曲:森安信夫)
2.ずっと…
(作詞:都志見隆 作曲:都志見隆 編曲:河野伸)

たまに、そして書けるものだけ作詞をしている。しかしあれだよな、今まで色んなテーマで書いて来たつもりだけど、例えば女性に対しての男の立ち位置とか対処の仕方とか、生きて行く上での大事な事とか、手を変え品を変え切り口を変えているようでも、結局はおんなじ女性像と同じ男のあり方なんだよな。だから作詞家には向いていない。そんないい訳をしながら、でもまたついつい書いてしまった。彼の声にそそられてね。
都志見隆ブログーアメノチハレー「月島と東京タワー」

オルリコ 

ひぐらしの坂


 
 
 
 
 
 
 
 

オルリコの唄を聴いた人は、みな口をそろえて
彼女のライブがあるときは教えてねって 言う。

 
2010/ 7/21発売
1. ひぐらしの坂
(作詞:松井五郎/作・編曲:都志見 隆 )
2. 忘れないで ~time to say goodbye~
(作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし 編曲:若草 恵)
 

いつもそうだけど、歌手の方のデビュー曲となると緊張感も増す。作家だけでなくメーカーや事務所も幾分慎重になる。リコちゃんのデビュー作に関しても色んな試行錯誤の末に第一弾が「ひぐらしの坂」になった。声や唄い方の雰囲気からも、そして本人も敬愛する故テレサテンさんの楽曲をカップリングした事からも、オリジナルよりもむしろそちらの話題のほうが先行した時期もあったけれど、彼女の母国モンゴルの代表的な歌唱法のオルティンドーなどは生で聴くととても素晴らしく、やはり大陸的なスケールの作品や柔らかい唱歌なども本当に聴いていて心地よい。夏の真っ盛りの時期に、あのモンゴルの衣装を着てキャンペーンで各地をまわっていたよな。あっぱれ!

島津亜矢

悠悠~阿久 悠さんに褒められたくて~


 
 
 
 
 
 
 
 

この詞を書かれた時 どんな気持ちだったんだろうなんて
曲をつけるときに いつもそう思わせるような作詞家 阿久先生。

 
島津亜矢 阿久悠さんへ捧げるアルバム
阿久先生の遺作10編に8名の作曲家が、新たに生命を吹き込んだ意欲作!
 2011-06-22/発売アルバムCD
 
5.想い出よありがとう
(作詞:阿久 悠/作曲:都志見 隆/編曲:矢野立美)

スター誕生という番組の審査員として阿久悠先生がおられたのを見たのはまだ広島に居る頃。作曲を始めて最初に阿久先生とご一緒したのが確か和田アキ子さんの「抱擁」(映画『極道の妻たちII』主題歌.1987)だった。それからはシブガキ隊や石川さゆりさんや前川清さんなどでもご一緒させていただいた。六本木にあった事務所へ一度だけ打ち合わせでお邪魔した時、昼食をと皆に出された頭と尻尾が器からはみ出る程の極上の天重だったが、あの広島時代から初めて先生にお会いできたという感激と緊張のあまり、カラカラに乾きまくった喉に何杯ものお茶で天丼を流し込もうとしたが結局は半分も頂けなかった。亡くなられたあともまだ曲のついていない作品が沢山あるらしく、今回また島津さんで一曲書かせて頂いた。作り終わるまで結構な時間がかかったが、とてもいい作品になった。矢野立美氏の編曲も素晴らしい。


秀香

最後だとわかっていたなら


 
 
 
 
  
 
 
 

「どうしてもこの詩を歌にしたいんだよ!」と
事務所の社長さん経由で発注を頂いた。

 
2009-06-24/発売
シングルCD
1.最後だとわかっていたなら
(原作:ノーマ コーネット マレック/訳:佐川 睦/
 歌詞構成・作編曲:都志見 隆)
2.女友達
(作詞:小山田美里亜/作曲:EDISON/編曲:EDISON)
 
 アメリカ人女性のノーマ コーネット マレックさんが、亡くなった我が子を偲んで書いた詩を佐川 睦さんが訳され
「最後だとわかっていたなら」という日本語詩で紹介された。
きっかけは2001年9月11日のあの悲惨な世界同時テロ後に世界中にチェーメールとして世界中に広まった
どうしてもこの詩を歌にしたいんだよと事務所の社長さん経由で発注を頂いた。
 

詞先の制作の中でも、これはとても印象に残っている。詩の全文を到底歌にすることは出来ず、なるべく原作者の意図からそれないように、そしてそれが出来るならあまり難しく聴こえないように編集しながら曲をつけていった。唄う歌と聴く歌があるとすれば、この作品は聴くうたなのかも知れない。スーパーモデルの秀香さんの事はメディアなどで存じてはいたが、曲を書く前に銀座の博品館劇場でのコンサートを観させていただいた。声だけで充分すぎる程の説得力があった。お会いするのはもちろん初めて。とても美しく気さくな方で、鏡の前で一緒に並ぶと自分が小学生のように見えた。時代の流れを行く歌ではないかもしれないが、こういう歌が残せて良かったと思っている。

高山厳

花手紙


 
 
 
 
 
 
 
  

厳さんのギターやピアノと唄とのシンプルなデモを聴くたびに、
つくづく余計なものはいらないのだと確認させられる

 
2011/3/23発売
1. 花手紙
(作詞:上田紅葉 作曲:都志見隆 編曲:信田かずお)
2. 忘れません [ピアノ・バージョン]
(作詞・作曲高山厳、編曲・信田かずお)
 
1995年に小柳ルミ子さんとのデュエット曲「夜明けの伝言」という作品が最初だった。私が作ったデモテープに歌詞がついた段階でご本人がピアノやギターで弾き語った本人デモを送っていただき、こういう感じなんだけどっていうのを毎回聴かせていただく。職業柄いろんな条件下で色んな人に聴いていただくため割としっかりとしたデモテープをつくる方だが、厳さんのギターやピアノと唄とのシンプルなデモを聴くたびに、つくづく余計なものはいらないのだと確認させられる。デモテープを作るのは、半分 自分に自信ががないからではないのかと思ったりもする。声質と歌い方が独特で特に高音が好き。

ミューア

ハレルヤ〜I LOVE YOU~


 
 
 
 
 
 
 
 

そうなんや、僕らの仕事は喜ばれてナンボなんや。

 
2009/12/4発売
1. ハレルヤ! I Love You
(作詞:ミューア 作.編曲:都志見隆)
2. 涙を空にあずけて
(作詞:ミューア 作.編曲:都志見隆)

大阪を中心に活躍しているシンガーソングライターのミューア。知人の紹介で曲を書かせていただく事になり、曲先と詩先を一曲づつ書いて交換しながら煮詰めていった。特に「涙を空にあずけて」というバラードは本人にとってはじめての詩先で書いた作品で、曲がついた時には本当に喜んでくれた。そうなんや、僕らの仕事は喜ばれてナンボなんや。シンガーも曲を書く奴も詞を書く人も、それが詰まったCDを手に取って一枚買うてくれる人達に支えられているんや。私もその昔アーティストを抱えインディーズレーベルとして支えて時期があり、一枚のCDを売る難しさ、そして’一枚が売れる喜びを何度も味わった。ずっと作家業だけやっていたら一番肝心な事に気付かずに来ていたかも知れない。現代はもうメジャーレーベルだって大きな動きには繋げてゆけないものがほとんどだけど、だからこそ「どっかで誰かが絶対に聴いててくれるんや!」が私のモットー。この曲もそんな想いで書かせていただいた。
 

森昌子

子供たちの桜


 
 
 
 
 
 
2011/3/23発売
2.子供達の桜2011Ver
(作詞;荒木とよひさ 作曲;都志見隆 編曲;川口真)

2009年にインディーズとして発売された「子供達の桜」という歌。最初はメジャー発売で進行していたが結果的には事務所の通販とコンサート会場での手売りだけで始まった。最初に川口真さんのアレンジで録音されものが2011年バージョンとして後の新曲「洗濯日和」のカップリングとして発売された。2009年版はデモテープの雰囲気により近い形という事で、私自身が編曲させていただいた。昌子さん本人ものこの作品には特別な想いを抱いておられるようで震災後の東北へ何度も行かれそこで唄っておられる姿を何度か拝見した。レコーディング当時は体調も万全ではないような印象を受けたが、現在では回復されたようで大変嬉しい。
私と同い年。いつかまたいい作品ができれば是非お持ちしたいと思う。

松原みき

The Winner


 
 
 
 
 
 
 

松原みきさん 是非お会いしたかった。

 

機動戦士ガンダム0083 オープニング曲

 
1991/01/21発売
04.The Winner
(作詞:安藤芳彦 作曲;都志見隆 編曲:萩田光雄)

故 松原みきさんが歌った作品。知人を通して生前の松原さんの事など色々と訊かせてもらったことがある。作った当時はそこまで思い入れがあったわけではないのだが、それから改めて聴いてみると歌声のその向こうに何かとても感慨深いものを感じた。
編曲は敬愛する萩田光雄氏。溢れるほどの才能と作品群を聴くたびに氏の特別な才能に触れることが出来る。どんなものにも品格が宿ると言ってもおかしくない。ぼく自身が胸を張って大好きと言える編曲家。そしてその歌声とともに大切な作品。

中西保志

最後の雨


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

彼に書こうとするといつも自然にいいメロディーに導いてくれる何かがある

 
 
1992/8/10発売
NTV「日立あしたP-KAN気分!」テーマ曲
 
1.最後の雨 
(作詞:夏目純 作曲:都志見隆 編曲:富田素弘)
2.君が微笑むなら
(作詞:中西保志、作曲・編曲:大森俊之)
 
何と言っても「最後の雨」という曲は、いろんな意味でこれまでの自分のキャリアの中核となった作品だな。渋谷の東武ホテルのロビーで当時ディレクターだったコロンビアの五十嵐氏と打ち合わせした。30歳になってから作曲武者修行のため2ヶ月の間L..Aに滞在していた事が、この時期の作曲にとても役に立ったと思う。それ程に男が歌えるバラードというものに自分自身とっても拘って書いていた時期でもある。時代が過ぎてしまうと、古くさく聴こえてしまったり言葉の感じが違ったりするものも少なくないけれど、中西保志に書いた歌たち(特にバラード)は今聴いてもいい歌だなって思える。それは中西保志の声のトーンや歌い方が今でも古さを感じさせないからなのかも知れないな。 
2009年の11月に発売された彼のカバーアルバムの中にある久々のオリジナル「another rain」を松井五郎氏と作った。「最後の雨」のアンサーソングという女性の目線からのテーマの歌だが、歌詞も素敵で中西の歌と共に、時代が時代ならもっと世の中に浸透したかも知れない。彼に書こうとするといつも自然にいいメロディーに導いてくれる何かがある。彼の歌が持つオーラかも知れない。ジャンル分けされた中での窮屈な立場で歌い続けなければならないポップス系アーティストも少なくないけれど、中西には是非そんな壁を取り払って心に染みる歌を長く歌えるステージを用意したいよね。 次の彼には艶歌もあるかもしれない。

都志見隆ブログ〜あのギリギリなかんじ (2012)


HIROMI GO

言えないよ


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

言えないよ」の次の打ち合わせで
「もう一曲、バラード出して三部作にしましょう!」と言われた時には、
正直驚いた。

 
1994/4/29発売  
1.言えないよ
(作詞:康珍化/作曲:都志見隆/編曲:山本健司)
2.TRY LOVE
(作詞:南風沙子/作曲:郷ひろみ/編曲:林有三)
 
1990年発売のアルバム「アメリカかぶれ」の中の一曲、「ナルシシスト」(作詞:秋元康 )が郷さんに提供したおそらく最初の曲だった。郷さんへの曲は全てが曲先での制作だったけれど、特に「言えないよ」の次の打ち合わせで「もう一曲、バラード出して三部作にしましょう!」と言われた時には、正直驚いた。「言えないよ」のボリューム感も強く、前々作から世間でも郷さんのバラードは認知されてただけに、王道なら次はアップテンポとなるところだが、だから余計に次のシングル「逢いたくてしかたない」のメロの響き方や進行については色々悩んだ。が、結果的にはカップリングの「忘れられない人」と共に自分の代表曲にしたい程のいい作品に仕上がった。

夏川りみ

花になる


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『夏川りみ』というジャンル。 
それを飛び越えてまた なにかゾクッとする歌を書いてみたいな。

 
2000/2/23発売
NHKラジオ『新ラジオ歌謡』
NHK『みんなのうた』2000年10月〜11月度
 
1.花になる
作詞:田久保真見/作曲:都志見隆/編曲:十川知司

その昔、作詞家の阿久悠氏と「夢色めまい」という歌を作った。りみちゃんがまだ星美里という名前で唄っていた頃だ。その後何年かしてメーカーが変わり、夏川りみとしてのデビュー曲の発注を受けた。及川眠子さんの詩先で作った「夕映えにゆれて」。こうやって唄ってほしいイメージ通りの歌の質感をりみちゃんとはすぐに共有出来た。歌謡曲なテイストだが今でもこの歌が個人的に好きだ。それから少しポップスへの方向転換を視野に入れた楽曲作りをという事になり翌年の「花になる」が出来上がった。これは曲先で詩は田久保真見さん。そして翌2001年のあの国民の歌となった「涙そうそう」へのヒットと繋がる。近年、ひさしぶりにスタジオで会ったが、変わらない笑顔とあの気のいい感じは昔のままだった。これからも素敵な歌をゆっくりと唄い続けて頂きたいと願う。

米倉千尋

未来の二人に


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「悩んだ日々の答えなんて 歩きだすことしかないよね」
いつ聴いても色褪せない言葉と歌声で生かされている作品

 
1996年12月5日発売
機動戦士ガンダム 第08MS小隊」挿入歌
 
1.未来の二人に
(作詞:工藤哲雄、作曲:都志見隆 編曲:chokkaku)

世の中での認知度は少ないかも知れないが、作家としてとても好きな作品。温かな歌詞も素敵。
こういうテイストの歌詞は工藤哲雄は絶品だったな。千尋ちゃんの声も透明感があってとても女性的、かつ力強いこういう声が大好き。
自然な言葉の伝え方でこの歌声を聴く度に心が落ちつく。リリースされた当時よりもさらに好きになった歌。


一青窈

影踏み


 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005/4/20発売/
日本中央競馬会CMソング
1.影踏み
(作詞:一青窈 作曲:都志見隆 編曲:山内薫)
 

JRA(日本中央競馬会)のイメージビデオを何度も見ながら作った記憶がある。タイアップが前程でスタートした制作だったけれど、曲先で言葉がないのでとにかくイメージした。生まれてからレースに出るまでの競走馬を時期毎に描いたCM作品。本人が唄い出来上がった音楽がはめられた絵をみてグッと来た。彼女の代表曲[ハナミズキ」の次のシングルだったので同じバラードという点では模索し結果的には認知度も低かったと思うが、
個人的にはとても好きな作品なのである。


ツーチーチェン

忍者戦隊カクレンジャー

(1994)


 
 
 
 
  
 
 
 
 

作曲と同一人物だとは思われないように名前を
「トゥー・チー・チェン」としたのだが...

 
 
オープニングテーマ
「シークレット カクレンジャー」
(作詞:冬杜花代子 / 作曲:都志見隆 / 編曲:山本健司 / 歌:トゥー・チー・チェン)
エンディングテーマ
「ニンジャ! 摩天楼キッズ」
(作詞:冬杜花代子 / 作曲:都志見隆 / 編曲:山本健司 / 歌:トゥー・チー・チェン)

作詞家の故.冬杜花代子さんと御一緒した思い出深い作品。冬杜さんとは87年に中森明菜に書いた「TANGO NOIR」以来だったが、その時にはお会い出来ずこのカクレンジャーのレコーディングで初めてお会いした。両曲とも詩先の制作だったので仮唄を唄い歌詞入りで作ったデモの感じがカクレンジャーのイメージにピッタリだったらしく、最初はお断りしたのだが結局は自分が歌う事になった。作曲と同一人物だとは思われないように名前をトゥー・チー・チェンとしたのだが、どうやらどこかで自分がその名の由来を喋ったらしく、作家本人が唄っていると認知されるまで時間はかからなかった。この楽曲には自分の想像よりはるかに大きな反応をいただいた。


福山憲三

愛をくれよ


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

職業作家としてというよりも、ギターをかき鳴らし唄い上げる広島時代、
何とかして東京に出たかったあの時の自分に戻って無心で書いた...
そんな気がする。

 
1994年8月10日発売
テレビ朝日系列ドラマ『青春の影』の主題歌。
 
1.愛をくれよ
(作詞:工藤哲雄、作曲:都志見隆)
2.あの頃の唄をもう一度
(作詞:工藤哲雄、作曲:都志見隆)

とにかくこの作品が好きで思い出深い。当時は作詞の工藤哲雄とTOKIOをはじめ多く作品を作っていた。この曲は確か彼の詩先で書き上げた後デモテープに唄を入れる際、何故か何度も涙が溢れた。「もしもこのまま消えてしまえばいったいだれが泣いてくれるのだろう」というフレーズでいつも詰まった。仮唄を録った後すぐに電話の受話器越しに工藤に聴かせながら何故か二人で泣いた。福山憲三の歌もイメージ通りであのギリギリな感じで表現されている。古い歌だしこの曲がどういう価値観でボーカルの福山くんの胸にあるのか解らないので(現在どうされているかも存知あげないため)、自分だけの胸にしまっておいたのだが2009年につるの剛士が偶然にカバーしてくれたのを知ってとても驚き嬉しかったと共に、やっとこの曲を誰かと共有できるという気持ちになった。何だそうか!お前もこの曲を好きでいてくれたのか!というような気持ちだった。職業作家としてというよりも、ギターをかき鳴らし唄い上げる広島時代、何とかして東京に出たかったあの時の自分に戻って無心で書いた...そんな気がする。 青臭いのは重々承知(笑)。 福山くん、お元気でおられるだろうか。いつかまたお会いしたいな。

反町隆史

FOEVER


 
 
 
 
 
 
 
 

「都志見、ちょっと会わせたい奴がいるんだが、今夜大丈夫か?」
と連絡をいただいたのが始まりだった。

 
1997/7/30発売
フジテレビ系ドラマ「ビーチボーイズ」主題歌
 
1.Forever(反町隆史 with リッチー・サンボラ)
(作詞:反町隆史/作曲:都志見隆/編曲:武部聡志)
2.NO PAIN NO GAIN
(作詞:反町隆史/作曲:都志見隆/編曲:中山弘)

私が18歳で上京してから30歳まで公私共にお世話になった研音という事務所の当時会長でおられた野崎俊夫氏からある日「都志見、ちょっと会わせたい奴がいるんだが、今夜大丈夫か?」と連絡をいただいた。待ち合わせの六本木のカラオケ店に来たのが、パツンパツンに突っ張り上げた革ジャン姿の反町隆史だった。未成年というドラマに入る前だった時期か。広島から上京した時の自分の一部を見ているような気持ちで(容姿の話しではない)、当時反町が好きだった尾崎豊の歌などを聴かせてもらった。上手いか下手かどうかよりマイクに噛み付きそうな勢いで唄う姿は持て余す若さのエネルギーを何かにぶつけて吐き出しているようで、なんとも格好が良かった。

ドラマ「ビーチボーイズ」の主題歌というタイアップありきで始まった楽曲制作。音楽以外の苦労も多く、色んな人間の出入りが増え、色んな勝手で無責任な思いとぶつかりながら最後には疲れ果てた。周囲の雑音を音楽に持ち込まないでほしいと心から願い、彼の繊細な心は何度か悲鳴をあげていた。自分にとっても当分思い出したくないプロジェクトだった。
ただ反町本人と色んな話をしながらのやり取りの中で彼の中にある様々な何かをすくい出して歌にしてゆく作業は本当に気持ちが入った。歌手になりたかったあの広島、そして職業作家になる前のアメリカ武者修行時代の自分と重なって、何日も徹夜しながら一曲一曲と出来上がってゆく作品を彼に聴かせるのが待ち遠しかった。今では本当に懐かしい思い出だ。そして自分にも避けて通れない試練を与えて頂いた出会いにとても感謝している。近年 一度ゴルフを一緒にした。

田原俊彦

ごめんよ涙


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

60歳になっても変わらず
腰やケツ振る田原俊彦が観たいんだ!

 
 
1989/4/19発売
フジテレビ系ドラマ「教師びんびん物語Ⅱ」主題歌
サントリー「シードル」CMソング
 
1.ごめんよ涙
(作詞:松井五郎 作曲:都志見隆 編曲:船山基紀)
2.BELIEVE
(作詞:森浩美 作曲:都志見隆 編曲:馬飼野康二)
 

 
 

 

作詞家の松井五郎氏と共にこの田原俊彦という人とのご縁も私の作家人生にとってはかけがえのないものとなった。
作曲家としての方向性の一端を担う程に田原俊彦とその音楽との出会いには深い想いを持たずにはいられない。
俊の10周年に「ごめんよ涙」という楽曲がリリースされ、その前の同年1月「愛しすぎて」から次の「ひとりぼっちにしないから」(同年9月)と1年に3枚のシングルを続けて書かせていただいた。レコーディング前の時期に青山劇場での舞台かコンサートの楽屋で初めて俊ちゃんに会った時「やるねっ!いい曲をありがとうございます」と声をかけてくれたのが最初の言葉だったでしょうか。それから20周年の「涙にさよならしないか」、そして30周年の「Cordially」と幸運にも彼の節目となる時期の作品も書かせていただく事となった。
あの真面目さと気遣いとそしてハチャメチャな部分のバランス感覚は彼だけに与えられたオーラだ。毎年コンサートに呼んでいただき僕はただただ彼の今年の歌と踊りを確認するように、そしてある時はファンの気持ちに成り代わって楽しむ。こうなったら60歳になっても変わらず腰やケツ振る田原俊彦を目指して頂きたいと願うばかり。本当に愛すべき人。

織田裕二

歌えなかったラブソング


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

録音用のラジカセをスタンバイしてギターを片手に
FAXの前で詞を待っていた。

 
1991年2月6日発売 スズキ「セルボ・モード」CMソング
1.歌えなかったラブ・ソング
(詞:真名杏樹 曲:都志見隆 )
 
現在、この瞬間から
Happy Birthday
KODO-鼓動-

 
作詞家の真名杏樹さんからファックスで送られてきた歌詞に曲をつけたいわゆる詞先の作品。
確か最初のタイトルは「90sのラブソング」だった。がしかし当時HONDAのキャッチフレーズがナインティーズだったので最終的に
「歌えなかったラブソング」になった。嘘のような話だが、ファックスから出て来た言葉の一行目からそのまま勢いでつけた曲。
曲が出来上がった時、歌詞はまだファックスから押し出された状態だった。
真名さんから今から送ると連絡あり、録音用のラジカセをスタンバイしてギターを片手に詩を待っていた。
 
当時は出すシングル曲の全てに何かしらのタイアップがついていた。「歌えなかったラブソング」から4枚ほどシングルを書いたが、アルバム曲も含め織田くんに書いた作品はすべて真名杏樹さんの詩先だった。どういうテーマを歌うかと言う事がテーマのアーティストで本人と作詞家が色々とディスカッションし決まったものに曲をつけていった制作だった。個人的にこの世界観が大好きで織田くんに曲を書くのが楽しくてたまらなかった。自分が歌う様な気持ちで一生懸命書いた記憶がある。
ある日、真名さんからほぼ二枚のレポート用紙にぎっしりと書かれたまるで日記のような文章の歌詞が届いた。後にも先にもこれほど長い歌詞をほぼ削る事なく曲をつけた事はない。この 『逆風』という作品は、今でも強烈に心に残っている。そして自信にもなった。作家はアーティストとの出会いが命だ。織田くんとの出会いによって書いた作品達は、その後の自分の作風の強烈な一本の柱となった事は間違いない。

TOKIO

LOVE YOU ONLY

Love you only

詞も曲もとにかく最初に書いたものが優れていれば、
その時点でもう8割は出来上がってるのだ。

 
1994.9.21発売
(歌:TOKIO アニメ「ツヨシしっかりしなさい」テーマ曲)
 
1.LOVE YOU ONLY
(作詞:工藤哲雄/作曲:都志見隆 /編曲:西脇辰弥)
2.時代(TOKIO)をよろしく!
(作詞:城島茂&山田ひろし/作曲:西脇辰弥 /編曲:西脇辰弥)
 
明日の君を守りたい

当時は外部のプロデューサー経由での発注だったTOKIOの一連の楽曲。基本的にはバンドサウンドという括りで始まった。
小学生の頃 ブームはグループ・サウンズ。その中でも大好きだったタイガースを基本のモチーフとして現代風にやってみた。
コーラスワークや追っかけメロ ハモリ ギターのリフなど自分の中にあるグループサウンズの正体を小出しにしていくように作った。
そのアンサンブルを作り込んで行く作業は実に楽しかった。風のように響かせるメロもあれば積み木のようにメロのカタチで表現する作り方もある。
TOKIOはまさに後者。情感よりもフレーズやパターンを明確にするように心がけた。
ちなみにTOKIOの楽曲は全て歌詞が先。僕はそれに曲を付けただけ。
詞も曲もとにかく最初に書いたものが優れていれば、その時点でもう8割は出来上がってるのだ。


工藤静香

BLUE ROSE


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

作家は褒められると嬉しくて嬉しくて
その度に雲の上まで舞い上がる 

 
1994年3月18日発売
1.Blue Rose 
作詞: 愛絵理 、作曲: 都志見隆 、編曲: 澤近泰輔
フェニックス・シーガイア・リゾートCMソング
2.Door 
作詞: 愛絵理 、作曲: 都志見隆 、編曲: 澤近泰輔
テレビ東京系ドラマ『積木くずし 崩壊、そして…』エンディングテーマソング
 

 
 

ディレクターに曲を提出してから2時間くらいたった時だろうか。車の運転中にご本人から電話をもらった。93年の年末の青山通りだった気がする。『これこれ!凄く良い!』。それが [Blue Rose]という名で世の中に出た。今は亡きポニーキャニオンのプロデューサーであった故 渡辺有三さんも後日「都志見君、サビ良いね〜。本人もとてもノッてますよ。ありがとう!」って電話をくれた。どんなにたくさん書いたって作家は褒められると嬉しくて嬉しくてその度に雲の上まで舞い上がる。良いも悪いもすぐに反応がでた時代。そんなテンポ感の中で有能なディレクターそして才能あるアーティストによって作家がどんどん鍛えられていった時代。


中森明菜

SAND BEIGE -砂漠へ-

 Sand Beige 砂漠へ

 
 
 
 
 
 
 
 

作詞家になりたいと思ったきっかけは
小学生の頃に聴いた中森明菜のサンドベージュだったという人に会った。
僕は嬉しくてすぐに許瑛子に電話した。

 
1985年6月19日発売
1.SAND BEIGE -砂漠へ-
(作詞:許瑛子/作曲:都志見隆/編曲:井上鑑)
2.椿姫ジュリアーナ
(作詞:松本一起/作曲:佐藤隆/編曲:井上鑑)
 
 
 

 
 
Tango Noir
 

「Sand Beige〜砂漠へ〜」は中森明菜に最初に書いた作品。勝手に描いて持ちこんだというのが正しい。その頃に知り合った作詞家の許英子に「中森明菜にプレゼンしたいから歌詞書いてくれる?」と頼んだ。出来あがった曲を許さんに電話越しに聴かせた。彼女はそれを留守電に録音して歌詞を書き始めた。夜中に電話がなって、彼女が口頭で、ぼくはそれをノートに書き写して翌日歌を入れて直接ワーナーパイオニアに持参した。まだカセットテープの時代。携帯もないし個人的にはファックスも持っていなかったが不便だなんて感じたことはなかった。そのやりとり一つ一つを今でもはっきりと覚えている。最終的にシングル候補としてこの曲と佐藤隆さんの作品とが残った。
 
右の写真は2013年に発売されたベスト。敬愛するレコーディングエンジニアの内沼さんが当時のアナログマルチからremixしたもの。とてもいいから聴いてみてとご本人から頂いた。

ナナムジカ

心音


 
 
 
 
  
 
 
 

与えられた条件の中で
何が何でもヒットを目指さなければならない。

 
2007/2/7発売
テレビ東京系(ドラマ24枠)ドラマ「クセノス」主題歌
1.心音
(作詞 作曲 編曲 243)
2.色彩の砂
3.ひまわり~Live Version~

「タカオ(私の本名)、ちょっと会ってほしい女の子がいるんだけど」と東京の父と慕う研音の野崎氏から連絡頂いた。
2003年くらいだったろうか。
桐朋学園のピアノ科と声楽科を卒業したての二人だった。それから約一年くらいは彼女達の書いて来た楽曲を聴きながらアドバイスしたり直しを課したりと楽曲のクオリティーと共に今後の方向性も模索していた。特にボーカルの西島梢の透明感のある声と唄い方はまだポップスの毒に浸食されていない特徴的な響きだった。そして松藤由里は技術的や理論的にはほとんど完璧と言っていい程のスキルを持ったプレーヤーだった。二年目からそんな二人との戦いが始まった。
曲の構築や発想はやはり私と彼女達では音楽的な背景から全く違った。それよりもやはり世代間の感覚的な違いに大人の経験値だけでは実に説得材料としては乏しかった。プロデュースとは何ぞやと考えさせられたのも、彼女達と会ってからが一番深い。
どんなにクリエイティヴでかっこ良くてもやはり結果を求められる世界に身を置く以上、与えられた条件の中で何が何でもヒットを目指さなければならない。ユバナというアルバムに全部を注ぎこんだ。曲を作り続ける事、結果を出し続ける事 容易ではないからこそ続ける事に価値がある。本当に愛おしく愛着のある、自分の子供のようなユニット「ナナムジカ」だったな。

和田アキ子

抱擁


 
 
 
 
 
 
 
 

たった一度の夢でもいい 私生きてた
思い違いであってもいい虹を見た
愛を見た

 
1987年8月25日 発売
映画「極道の妻たち2」主題歌
 
1.抱擁
(作詞:阿久悠 作曲:都志見隆)

なんと言っても、和田さんの作品では阿久先生の事が思い出されてならない。この曲はメロ先で書いた。阿久先生との作品は数こそ多くないがほとんどがメロ先だった。覚えている限り詞先で書いた作品は石川さゆりの「おもちゃ」それから島津亜矢の「想い出よありがとう」の2曲だ。自信作が出来た!と当事のワーナーの担当ディレクターに自らデモテープを持参した。あいにく不在だったので自分の想いを手紙に書き置いてきたことをいまでも鮮明に覚えている。 はじめてお会いした時、「都志見君とはこれとこれとあれとやったよねえ」とそれまでにご一緒した作品のタイトルを全て並べて仰っていただいたのには驚いた。 晩年、何かの番組でお会いした時には、「『歌』って一体だれのものかねえ」なんて独り言のように仰っていたことを思い出す。もっと早く生まれていれば、もっともっと沢山の作品をご一緒させていただける可能性があったかもしれない。阿久先生との作品はいまでも僕の大切な宝物だ。


SMAP

僕は君を連れてゆく

僕は君を連れてゆく

 
 
 
 
 
 
 
 

締め切り当日にいきなり唄ったAメロが心地良く
直感でイケたと確信した。

 
2003年3月5日発売
世界にひとつだけの花カップリング曲
 
2.僕は君を連れてゆく
(作詞:工藤哲雄 / 作曲・編曲:都志見隆)

音楽製作に限ったことではないが、長い時間狭い部屋の中で作業をしてしていると視点せばまり俯瞰で見渡すことがなかなか難しくなる。
いつもその日に作ったデモテープを自宅に帰る車の中で聴いてみる。長い時間に詰まっていたことが一瞬で解決する。
車から見える景色が流れ街の音に紛れて聴こえるそのフレーズや構成が作りたいものにとって正しいのかそうでないかがよくわかる。
この曲も、そうやってメロを推敲(すいこう)しながら完成させた。特にAメロは何度も変えながら決めたものがあったのだが、
締め切り当日にいきなり歌ったAメロが心地良く直感でイケたと確信した


長狭学園 校歌

「若葉」


 
2009年
長狭学園校歌「若葉」
(作曲:都志見隆  歌詞監修:康珍化 編曲:京田誠一)

校歌だというのに、大きなスタジオを押さえてレコーディングした。
生徒さん達にどういう歌なのかちゃんと伝える為に
14人のストリングスとピアノと歌でいつものレコードを作る様に。
僕ともう一人の女の子がメロディーを唄った。
そこにいた皆がワクワクした。

 

「ツックン(私の愛称)、校歌やらない?」 ある日作詞家の康珍化さんから電話があった。康さんとは郷ひろみさんの[言えないよ」で御一緒して以来だっただろうか、長らくご無沙汰していた。私の敬愛する作詞家のお一人である。康さんのお住まいのエリアの小学校と中学校が統一され新しい学園ができるのだが、その校歌を書いてほしいというご連絡だった。詩は公募してそれを康氏が監修されるという事だった。事細かに説明すればちょっとした小冊子くらいのボリュームになるのでここでは割愛するが、とにかく即答「やります!」と電話を切り打ち合わせに向かった。いわゆる校歌のような歌にはせず、普通に口ずさめる歌を目指した。みんなが学校を卒業しやがて社会に出て大人として色んな事に揉まれるだろう。そんな人生の中にふと歌が流れてきて、その時代の自分、そして先生や仲間達との思い出に一瞬で出会える事ができるならとても素敵な事だよな。そんな歌作り参加出来たなんて本当に嬉しい。校歌にタイトルがついているのも珍しい。いつしか音源をお聴かせしたい。康さん、ありがとう。

もっともあぶない刑事
(村川透監督作品)

もっともあぶない刑事サウンドトラック


 
 
  
 
 
 
 
 

このL.Aレコーディングは蓋を開けてみると
蒼々たるスタジオミュージシャンのサポートのもと
大きな経験値を上げルことが出来た
貴重なセッションだった。

 
1989/4/22発売

二十歳から4年弱ニューヨークに武者修行していたが、西海岸も経験したいと30才あたりでL.Aに2ヶ月滞在して曲つくりに励んだ。その事があったからこそ、この仕事を引き受けることができたと振り返る。あの時代に時間とお金を惜しんで日本に居たら、それこそ現在こうして続けていれたかどうかわからない。それ程に色々なことが線のように繋がっていった。今考えると僕はラッキーマンだと思う。製作費の半分くらいを現金で持参してスタジオワーク含め約ひと月くらい滞在しただろうか。為替の変動で当初は予定になかったストリングスをダビング出来たり、その編曲が実はデビッドフォスターオーケストラでも指揮棒をふるあのJeremy Lubbock(ジェレミー・ラボック)だったりと、このL.Aレコーディングは蓋を開けてみると蒼々たるスタジオミュージシャンのサポートのもと経験値を上げルことが出来た貴重なセッションだった。

ビーバップハイスクール
(那須博之監督作品)

ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
ビー・バップ・パラダイス 
(作詞:都志見隆/作曲:都志見隆/編曲:中村哲)
 
 
 

ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲(1987)


 
 
 
 
 
 
 
 
ビー・バップ・シンドローム 
(作詞:きうちかずひろ/作曲:都志見隆/編曲:中村哲)
BE-BOP DANCING (作詞:きうちかずひろ/作曲:都志見隆/編曲:中村哲)
 
 

ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭(1988)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
高校与太郎音頭 
(作詞:きうちかずひろ/作曲:都志見隆) - BE-BOP社中
BE-BOP音頭 
(作詞:きうちかずひろ/作曲:都志見隆) - BE-BOP社中
 
 

ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇(1988)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
ビー・バップ・ドリーム 
(作詞:きうちかずひろ/作曲:都志見隆/編曲:萩田光雄) - ビー・バップ・オールスターズ